序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録

肉食考(ニクジキコウ)-1

 日本料理においては長い間、肉の存在が抹殺されておりました。最近まで日本人は長い歴史の中、全然肉を食べてこなかったと言う方も居られたそうです。

 勿論、忌まれて来たところはありますが、肉が一切食べられなかったと言う事はありません。各地に残る肉料理を考えても、日本に肉食が無かったと言うのにはまず無理があります。しかしある時期を境に表向き、日本では肉食は認められなくなりました。つまり、あっても無い物とされてしまったのです。

 肉食のタブー化への動きは制度上では675年、天武天皇(在位673〜686)が肉食の禁止令を出したあたりから始まります。殺生を禁ずる仏教と絡み表向き肉食は禁止への方向へ向かいます。

 殺生をすることは仏教では悪行であり、これを犯す事は酷い来世を送ると言うことでしょうが、「穢れ」の問題とも絡み、肉食を取り巻く状況は複雑化します。そして時代と共に肉食禁の通俗化は進みます。

 当初、僧侶界においてだけだった肉食の禁は、平安期に貴族の特別な日における肉食の禁へ広がります。905年に作られた行事などに関する細則「延喜式」には、獣肉を食べたものは3日間は参代(御所へ参上すること)してはいけないと定められております(やっぱり食べている!)。天皇は日本の政を司るトップですから、天皇の近辺は穢れが及ばないように特に神経質に取り締まりました。したがって、この時代の天皇は在位中は殆ど御所から外へ出れず、言わば軟禁状態でもあったのです。

 平安末期には貴族の日常においても禁止されました。鎌倉期には関西の都市を中心に庶民へもその影響が出始めます。

 この時代は人と自然の関係が決定的に変化した時代であるとも言われます。徐々に自分の思うように自然を扱う事ができるようになってきたと言う自負が人間にあったのでしょう。穢れを恐れ、畏怖するという感覚は、時代の進行と共に遠ざける、汚らわしいと見る感覚へ移行していったと言います。

 そして、この時代特に穢れに関する問題がクローズアップされた理由については、都である京都が都市として非常に巨大になったということが挙げられるでしょう。人が充満して―この頃は飢饉もよく起きましたし―温暖湿潤である日本においては、疫病が問題になっておりました。

 死骸は疫病を起こす原因になりますし、こう言う環境が穢れに対する過剰な排除感覚を生んだといえます。ですから「殺生の禁」と言いながら、感覚的には、牛肉を食べたりすることは穢れたものを食べると言う感覚だったのでしょう。

 浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗といった鎌倉仏教は町を中心として展開した宗教傾向でした。これらの仏教群は穢れ思想が深まる中、町に住み、本来は穢れを扱う「職人」であった人々が迫害を受け始め、それらを救おうと言う考えに進んだという点で重要です。

 穢れの問題は単純でなく、様々な要素を含みつつ巨大化したため、全てについて触れる事は出来ませんが、肉食行為に付いて、まずは以上のような展開があったと思われます。


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