序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
 肉食考-2

 肉食禁下にて

 肉食の禁は穢れの問題と非常に絡み合ったものでしたが、一方、仏教を利用した政治的な意図を持っていた事にも注意しなければなりません。

 平安時代の天平13年2月(741年)、日本は国力増産、仏教による国家統治に燃えておりましたが、この時、以下の様な法案が通ったと言います。「牛馬は人に代わって勤労し、人を養う物であるから殺してはいけない。今だ百姓には牛馬を殺す者が居るらしいが、今後禁を犯せば杖100の刑とする。」

 当時、馬や牛は野や山に野生種がのびのび暮らしていました。源平合戦等で出てくる牛馬も、野生種が多かった様ですが、上の文を読むと民に対して「牛馬を食わずに利用しろ。」という風に命令している訳です。

 牛の皮は鎧等に利用価値の高いものでした。また馬の脚力は地方との往来の為にも大事な物ですし、戦にも使われました。まさに畜力は現代の車や飛行機のように中央集権国家建設のために、そうそう食われてしまっては困るものだったのです。その為、肉食の禁と言っても特に魚や鳥はその範疇には入りませんでした。

 このように政治的な理由からも政府は、しつこく幾度にも渡って肉食禁を強く民に求めました。しかし上のような法案が存在すると言う事は、民が肉食を止めなかった事の現われでもあります。

 実際、戦国時代末期に書かれた「山科言継卿記」と呼ばれる日記帳には、狸汁を食べて大いに盛り上がった記録があります。他にイタチやキツネ、イノシシも珍味として貴族に好まれました。

 彼等は面白い理屈を持って肉を食べていたとも言われます。それは「2文字の肉はダメ」というもの。例えばウシやウマは駄目。するとイタチ、キツネ、タヌキ、イノシシはこの条件をクリアする事になります。因みにシカも食べたそうですが「カモシカ」と呼べばクリアになるのだとか。そんな馬鹿な、という話ですが。

 禅寺の僧が食べた料理に狸汁という鍋があります。これは肉食の禁のある僧が、せめて名前だけでも、と狸の名前をつけたことからくると言います。僧の食べる狸汁は「油で炒めたコンニャクを大根、ゴボウと共に味噌で煮込んだ鍋物」ですが、昔から日本にあった狸汁に思いを馳せた銘銘でしょう。しかし、そもそも思いを馳せると言う事は、その味を知っている事の裏反しと考えるのが妥当です。

 やはり、どうしても肉は美味い。この世で一番肉を食べてはいけない存在であった僧においても、煩悩との戦いは劣勢だった様です。フロイスの残した文書にも「僧は外面では肉も魚も食べないと公言しているが、殆ど誰もが裏で食べている。」とあります。

 このように全時代を通じて肉は食べられつづけました。平安時代の貴族階級はかなり真面目に肉食の禁については取り組んだようですが、結局、食事が偏ったため、病気に弱くなり、体力も無くなります。

 やがて肉の禁など知らぬ坂東武者が荒々しく政権を奪取してゆきます。彼等は肉という強力なエネルギー資源を吸収し、ギラギラとした覇気を持っておりました。東国のむくつけき猛者どもが京にズカズカと入ってくる様を都人達は戦々恐々と見守りましたが、その裏には食事の問題もあったことでしょう。
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