序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
..  肉食考-3

肉食開放へ

 江戸初期においては肉食は江戸市中でも行われましたし、「獣肉屋」もありました。また江戸時代後期、大阪で蘭医の緒方洪庵(1810〜1863)が牛鍋を食べた話も残っているので今回はそれに触れてみましょう。

 ある時、牛鍋屋の爺様がやってきて、「牛を自分では殺せない」ので、洪庵の所にいる書生を使って殺してくれと頼みます。そこで書生が出かけて行き、牛の四足を縛ると水に突っ込んで窒息死させました。その礼として書生は豚の頭を貰い、解剖実験用に利用しております。「解剖的に脳だの目だのを良く調べて、散々いじくった後、煮て食った」と言いますから、しっかり実験後に煮込んで食べていたのです。

 そもそも人を殺すのが職業でもある侍は思ったほど肉食にうるさくありませんでした。しかし将軍家が公家化して行くと共に、江戸中期以降、武家社会でも肉食が消えてゆきました。

 しかしその間も彦根藩井伊家では代々将軍家と御三家へ、牛肉の味噌漬を献上しておりましたし、江戸末期、長崎から蘭学と共に肉食に効用があることが分かってくると、江戸に獣肉店が再び開きます。

 江戸時代、江戸市中の「ももんじい屋」という所ではイノシシ、シカ、クマ、オオカミ、キツネ、タヌキ、サル、カワウソ等が売られていたと言います。肉食が認められていないのにもかかわらず、現在の我々のように牛豚鳥ばかりを食べているよりも、ずっと多種の肉を食べていたことになります。

 しかし肉は現代のように、気軽に買うものではなかったようです。大名行列がその店の前を通る事さえもはばかったと言いますし、庶民にとってもやはり肉食は表向き認められた存在ではない訳です。

 牛などのように美味しいものを食べないとは妙とも思いますが、当時は牛などはそもそも食べるものではないという感覚が強かったようです。現在我々は犬や猫を見ると食べるものではないと単純に考えますが、これを昔の人々の牛や豚に対する感覚に置き換えてはどうでしょうか。無論、穢れと言う問題を抜いてこの問題は語れませんが、このような感覚の違いと言うものあったはずです。

 縄文時代に縄文人はイルカを食べてもおります。猫や犬、ある時期はラッコやオットセイまで日本人は食べて来ました。これこそ現在の我々から考えれば、とんでもない非人道的行為です。あの愛くるしいイルカや犬猫を食べるとは「冷酷」と感じる方も居られるかもしれません。現代ならばペット虐待で非難を浴びるのがオチしょう。

 一方、我々は「霜降り和牛」とか「黒豚」と聞いた途端に口の中にヨダレの湧き出すのを感じずにおられません。牛や豚は「食べるもの」だから食べても良いという訳です。

 やがて明治維新という新時代の到来と共に肉食解禁がなされました。「西洋人が食べるように我々も肉を食べることが、開明的である!」。時代に遅れまいと必死な人々は牛肉が「薬になる」だとか「肉を食べない者は文明人ではない」とまで言って、肉を大いに食べました。町には牛肉屋が軒を連ね、天皇から肉食を禁じられていた僧侶までもが牛肉を食べるようになったというから極端な話です。
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