序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
 肉食考-4

 牛肉は開化の味

  明治維新は、爆発的な力をもった肉食化の時代でもありました。これはたんなるブームという以上の意味をもつものでした。

 西洋は麦食(パン)・牧畜文化圏にあり、よく肉を食べますが、当時の日本人は、肉食が西洋文明を生む源になったと考えていたようなところがあるからです。

 1872年、明治天皇が前例を破り牛肉を食べました。これは、かなり効いたようで日本中に肉食の波が広まり始めます。「士農工商、老若男女、賢愚貧富おしなべて、牛肉食わねば開けぬ奴(文明開化しない奴)」と書く本が出版され、僧侶は肉食妻帯を始めました。

 牛は肉の中でも格の高い肉でした。牛肉に馬肉や豚肉を混ぜ込んで販売したりする業者がいたり、何の肉かも分からない肉を牛肉と、いつわる業者も現れているのを見ても、その地位の高さが分かります。

 当時、流行したのは牛鍋です。味噌仕立てで「ネギを入れ、味噌を投じ、鉄鍋ジヤジヤ……一度箸をいるれば、嗚呼美なるかな……」という言葉が残っております。牛刺しも人気で、酢味噌をつけて食べました。

 牛食推進派だった福沢諭吉らの後援を受け、「万病に効く」というふれこみで、牛乳も売られ始めました。当時の宣伝文句に「西洋では牛乳は我々のカツオブシと同じ扱いをする」というのがあります。

 牛乳は固めてチーズになるのがカツオブシに似ており、よく料理するさいに味のベースにもなりますから、そこが似ているということでしょうが、これは強引すぎます。

 その他、肉うどんや牛肉飯も生まれ、カツレツもこの頃に登場します。当時のカツレツは牛肉が主体でした。

 しかし一方で、肉食には文明の象徴という意味が含まれていたために、肉食をしない人は遅れたやつという見なしかたをする、脅迫に近い風潮もありました。

 「肉を食えばヤレ穢れるだのと野暮を言うのは科学を知らぬ野蛮人」という言葉が残っているように、たんに牛肉を食べたいという以上の意志があったのです。

 改革というものが、前の時代を根こそぎ否定するものであることを感じさせます。

 しかし、この言葉が残っているということは、牛肉に馴染めない人がいたということも意味します。特に女性と老人に、牛肉は嫌われました。牛肉店を開くと言いだした夫に対して、奥さんが離婚すると大喧嘩になった話も残っておりますし、東京の品川に屠殺場ができると、住民の反対運動がおきたりもしました。

 また、つき合いで牛鍋屋に行き、いやいや牛肉を食べたが、帰りにはお寺参りに行く気がしなくなったと述べている人の話もあります。

 とはいえ、肉食は徐々に日本へ浸透してゆきます。そして狂牛病騒動の前などは、我々は過剰な量の牛肉を胃袋に放りこんでいました。

 私は、こういう牛肉にたいして時に恐ろしさも感じます。一時代は過剰に嫌い、また過剰に好み、政治とも絡む。どうも肉は人を狂わせる性質をもっているようです。
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