序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
..

イモの話


 「イモ」と言うと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?私はジャガイモやサツマイモと言ったホクホクした物を思い浮かべますが、昔の日本人にとってイモとはそういうホクホクとした物ではなかったようです。

 ジャガイモ(馬鈴薯)は南米が原産地で安土桃山時代に海外からもたらされました。ジャガイモの「ジャガ」とは「ジャガトラ」と言う地名から来たものです。ジャガトラとは現在のインドネシアの首都ジャカルタのこと。全国への普及は明治時代以降ですから、イモとしてはかなりの若輩者と言う訳になります。

 サツマイモ(甘藷)も同時期の上陸で、薩摩地方(鹿児島県西部)では琉球イモと呼んでいることから、琉球(沖縄)より薩摩へ入り、そこに定着したと考えられます。

 このイモが全国へ広まりを見せたのはジャガイモより少し早く江戸時代でした。サツマイモに目をつけたのは青木文蔵(昆陽)という人物で、飢饉対策の作物としてサツマイモを薩摩から江戸へ取り寄せたところから全国へ広まり始めます。当時はサツマイモには毒があるという噂もあり、新井白石のように「そんな危険な物を食べさせるとは何事か」と主張する人もいましたが、青木は押し切ってサツマイモの栽培に着手します。やがて江戸の街には現在のヤキイモ屋さんにあたるイモ屋さんが開店する様にもなりました。

 しかしサツマイモも所詮は江戸時代以降の若輩者です。それ以前、イモといえば何だったのでしょうか?

 奈良時代を覗いて見ると「ウモ」と呼び、サトイモやヤマイモがありました。サトイモもヤマイモは「ホクホク」のジャガイモやサツマイモとは異なり、何れも「ネバネバ」「モッチリ」「ヌルヌル」とした食感が特徴です。つまり昔の日本人にとってイモといえばネバネバとしたものを思い浮かべた事になります。

 実はこのイモのネバネバ感が非常に日本人の食味を特徴付けていると言う説があります。稲作が広まる前、我々の先祖は非常に長い間イモを中心として、クズ、ワラビ等を食べていました。現在も地方の祭ではイモを潰して食べたり、またイモを土中に埋めて発酵してから食べたりすることがあります。他に海藻類にしてもネバネバとしたものが多く、これらのものが我々の「ネバネバ嗜好」を決定付けたと言うわけです。

 やがて縄文時代後期、米という新しい食物が大陸より日本に入ってきます。最初に流入した米は餅米だったという話もありますが、この新しい食べ物はネバネバとしており、祖先達の嗜好にマッチした事でしょう。稲作文化の土壌には芋の文化があったことは見逃せない部分といえます。

 麦を作るインド以西の文化圏の人々には、このネバネバが気持ち悪いと言う方もおられるそうです。一方の我々は食べ物に対して「パサパサしている」と言う場合、不味いと言う意味をこめる事が多いですね。また国内に目を移すと、粉物(小麦)の食べ物の伝統の長い関西では納豆のネバネバが嫌いと言う事が多く、米を良く食べた関東では納豆のネバネバが好きという風に言われるのもこれと関係があるのかもしれません。

 最後に私は「イモ」ではなく漢字の「芋」に直すと、ネバネバ系のイモの姿が頭に浮かびます。新しいイメージのあるカタカナ語ではなく、古いものを匂わせる漢字でサトイモになるということでなのしょうか?
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