序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
..

ヒエ、アワ

 昔話や教科書で「貧しさの象徴」として聞くことの多いヒエとアワ、実はもともと人間の食事において非常に輝かしい地位を担ってきました。この2つ、専門家でもないと区別が出来ない程似ておりますが、ヒエやアワは小鳥の餌に使われるので、黄色くて小さな粒々の姿を見たことがある方も多いかと思います。

 アワはイネ科に属し、東アジアの原産です。日本には古く渡来し、庶民にとって長い間、米よりも主食の座にありました。粟飴(もち米と粟から作られた飴)、粟飯(米に粟をまぜて炊いた飯)、粟おこし(粟と砂糖・水飴等で作る菓子)といったものが残っているのも、過去の栄光をしのばせます。

 また、アワの名はそれとなく地名に残っております。広島県東部には出雲(島根県)と備後(広島県)を結ぶ粟石峠という峠道があります。また岡山県北東部には「東粟倉」などの地名が見られます。奈良時代、飢饉の為の蓄えとして倉に一定量の穀物を納める制度「義倉」がありましたが、この穀物はアワでした。岡山県の粟倉と言う地名に関係があるのかもしれません。

 また兵庫県の淡路島は「粟路」とも書きます。「淡」の字は「阿波」と道義で、淡路は「阿波への道」を表すと言いますが、「阿波」(現在の四国徳島県)も粟食と関係が深いのかもしれません。

 これを考える時、「淡い」「淡々とした」という言葉は粟と関係があるのかもしれないという気がしてきます。意味に「色や味が薄い」「軽々しく軽薄」がありますが、粟の事を言っているのではないでしょうか。

 一方、ヒエもイネ科に属し中国原産ですが、日本には古くから渡来したと言われます。縄文期、ヒエは主穀的な役割を長く持っていた言う話もあり、「ヒエは日本が原産」だと主張する方もおられます。

 ヒエの名が残っている場所の代表格は、皆さんご存知の「比叡山」でしょう。比叡は「日吉、稗叡、日枝」とも書き、稗の名が残っております。日吉(ヒヨシ)の地名は東京などにも残っておりますが、これは比叡山の麓にある日吉大社の末社がそこにあったことによります。

 比叡山は天台宗という一派の総本山ですが、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗といった多くの宗派の起源となった、言わば日本宗教の総本山と言えます。比叡山の延暦寺は788年、最澄が一乗止観院を立てた事がもとになりましたが、これ以前から信仰の対象とされていたようです。今だ神事においてヒエを備える場所もあると言いますし、ひょっとしたら比叡山が信仰の対象になった理由として、ヒエが沢山取れたからだったのかもしれません。

 米が広大な平地で作られたのに対し、上記の場所のようにアワやヒエは山や丘のような場所で良く作られました。方法は焼畑農法などの古代的農法で作られたようですが、古くからの食べ物であったことを窺わせます。

 しかし米を食べる時代には、昔はよく食べられた筈のヒエが逆に雑草と見られ、忌み嫌われるようになりました。そう考えると一体雑草とは何なのかという疑問も湧いてきますね。
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