序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
..

米食悲願

日本の食の歴史を辿って行くと、縄文時代に稲作が日本にポツリポツリと入り始め、弥生時代に本格的な稲作が導入されます。そしてその後は米というものにこだわり、米を中心に法制度を整え、ついには倫理道徳まで駆使して米食文化を作ろうと必死に努力してきました。まさに我々の祖先の多くの人々は全身全霊を持って米にこだわって来たとも言えるわけです。

 しかしその努力にもかかわらず、米が主食と言えるほどにまで庶民に浸透したのは、実際には戦後からの数十年だけであると言う事を言われる学者さんも多く居られます。このことから日本人を言い表すならば、「米食民族」などではなく「米食悲願民族」なのだと言われる程です。

 どれほど米食を悲願したのかを言い当てるものに「ふり米伝承」といわれる良い例があります。この伝承は日本各地に見られるものですが、特に水耕田の少ない山間部に多いのだそうです。

 内容は「瀕死の病人の枕元に竹筒に入れた米を持ってゆき、その音を聞かせる。これによって病人を元気づけた。」と言うもの。耳元でシャカシャカと、現代だったら嫌がらせとしか取られない行為ですが、これが人を元気付ける力を持っていたというのですから、米に対する思いは並大抵の物ではありません。

 奈良県の山中には病人が亡くなった時、「米養生もかないませず」と言う慣習が残っていたそうです。米は弱った人を元気付ける為の特効薬であり、「腹一杯の米を食う」事は寿命をも延ばす最高の贅沢でもあったのでしょう。

 ところで江戸時代、稲の籾を取った後、残った藁を様々な分野に再利用しております。藁葺き屋根に使われたり、家畜の餌に使われたり、また肥糧にも使われました。また米を運搬する為の入れ物として米俵を作りました。現在では「俵は米を入れる物」と言う感覚もありますが、俵そのものは古く、穀類一般・芋類・食塩・石炭・木炭等を運搬するのにも使われたそうです。俵は海外には見られないことから日本のオリジナルであると言う説もあるそうです。

 日本人の藁への態度は、あるものをシッカリと使い切るという知恵と言えますが、実は財の象徴である江戸期の通貨「小判」は米俵を形どった物でした。現在でも相撲取りは優勝すると米俵で米を貰います。

 江戸時代以前の武士も給料は米で支払われており、それを他の物や金に換金して使いました。また現在でも祭の力自慢コンテストでは、米俵を持ち上げる事で自らの力を自慢する風習が残っております。

 我々にとって米は富の象徴であり、夢でもあったようです。しかし、これはずっと米を食べてきたと言う事ではなく、むしろ中々食べられなかったという歴史の語る悲願の現われであるというのが実態のようです。

 当然の如くあるものに執着心は現われないように、たまにしか食べられないものであるから、このような形になって残っているのでしょう。様々な風習や物に祖先たちの思いが込められているものですね。

△上へ

農と食の歴史コラム トップへ戻る。

>>クサツパイオニアファーム