序文
米食悲願
米の名前
古代米-1 赤米
古代米-2 黒米・香米
脚気と米の関係
脚気 その克服
飢餓の構造-消えた食糧
飢餓概観
天明飢饉の昔話
肉食考(ニクジキコウ)-1
肉食禁下にて
肉食開放へ
肉食は開化の味
精進料理とは
精進料理の心
いもの話
仏教と食
おせちの話
ヒエ、アワ
日本食雑感
忍者の携帯食
農稼録
.. 脚気-2

脚気-その克服


 長い間国民病となってきた脚気ですが、その療法として「脚気に小豆飯、麦飯」という言葉がありました。これらは実は理に叶った言葉でしたが経験的域を脱しておらず、明治初期には科学的に証明されていなかった為に説得力を持ちませんでした。

 現在も「前進する」事を善しとして、「古い常識」というものを卑下するような所がありますが、変革期においては古い物は玉石混交で悪とされてしまうところが有るようです。

 明治時代の「究理(科学的な説明をつけること)」の風は強力で、これをクリアしない古法は軽んじられました。この時代、昔のものを引きづった者は「開化の邪魔をする未開人」「悪い体制の保守をする人間」と軽蔑されたと言うことも出来るでしょう。

 やがて脚気の原因が科学的に究明されます。

 明治時代の脚気の有名な話にこのようなものがありました。1883年、軍艦の竜驤(リュウジョウ)が太平洋横断の練習航海中の事。乗り込んでいた乗組員が次々と脚気に犯されました。そしてこの結果、乗組員371人中約半数が脚気にかかり、最終的には25人もの死者を出すに至りました。

 当時の海軍軍医でした高木兼寛(カネヒロ)(1849〜1920)は、日本の長年の課題でした脚気の克服に取り組み、白米でなくビタミンB1を含む麦飯を摂取する事で脚気が予防できるという結論に至ります。とはいえビタミンBは1909年に鈴木梅太郎が米ヌカから抽出した事で発見されたのですから、彼はビタミンB1の事を科学的に知っていた訳ではなく、おそらく古法をヒントに答えを出したのだと思います。

 これに対し、陸軍軍医だった森林太郎(1862〜1922)(有名な森鴎外です)は高木を批判しております。

 激しい論争は続きましたが、麦飯を導入した海軍に対し白米食を続けた陸軍を比較すれば、どちらの主張が正しかったかは明らかです。答えは明治期の二つの大戦、日清戦争(1894〜95)や日露戦争(1904〜05)にあります。

 日清戦争においては陸軍の脚気患者は4万名以上(うち死亡者は4000名)もいたと言いますが、海軍の脚気による死亡者はたったの3名。また一方の日露戦争においても陸軍の脚気患者が何と約20万名(うち死亡27000名)に対し、海軍の被害は殆ど報告されなかったと言います。

 森林太郎は死ぬまで自分の過ちに気付く事はありませんでした。一方、長年の国民病脚気を克服に導いた高木は後に男爵の地位を得て、人々は彼を「麦飯男爵」と呼びました。

 ところで江戸時代に救荒作物のサツマイモを日本中に広めた青木昆陽のあだ名も「甘藷先生」です。私は子供の頃、枝豆が好きで、そればかりを食べていたところ、あだ名が「枝豆大臣」になりました。やたらに直接的なネーミングですが、こういうあだ名の付け方は昔から多かった様で、面白みを感じるものです。
△上へ

農と食の歴史コラム トップへ戻る。

>>クサツパイオニアファーム ではビタミンたっぷり玄米・分づき米も販売しています。